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宮ノ舞・仏舞・写仏教室
花南堂
はなみなみどう
花南堂 堂主
蕣寿
しゅんじゅ
皆さん、こんにちは。花南堂の堂主 蕣寿(しゅんじゅ)です🌺
古より繋がれてきた尊い日本の文化に惹かれ、爽やかな「蕣 あさがお」のような 大和撫子 を目指して、幼い子供たちの子育てに 追われながら日々 楽しく過ごしています。
自然に囲まれ、穏やかな時を過ごせる花小金井の地も大好き「花南堂」は、その名を頂きました。
そして現在、『中将姫の舞』を精進しております。
ご興味のある方は、お問合せ下さいませ。
中将姫とは
仏の道を貫き、29歳で極楽浄土へと旅立った女性
奈良時代の右大臣・藤原豊成(後に左大臣)の娘である中将姫は、美貌と才能に恵まれ、
9歳の時には孝謙天皇に召し出され百官の前で琴を演奏し、賞賛を受ける。
5歳のとき母が死別し豊成は後妻を迎えたが、後妻は姫を妬み、豊成が天皇の命で諸国の視察に出た留守に、従者に姫の殺害を命じる。従者は姫を殺そうとするも、姫は少しも恐れず、手を合わせて読経する姿を見て、殺すことができず、雲雀山の青蓮寺へと隠し、ひそかに姫を守って暮らした。
父の豊成が諸国の巡視を終え、狩りに出た折、山中で姫を発見しその無事を喜んだ。姫は家に帰ってからも、仏の信仰を続け、16歳の時、二上山の山麓にある當麻寺へ入り尼となり、法如という戒名を授かる。 その後、日々仏行に励み大悲を得て、一夜にして蓮糸で『當麻曼荼羅』(『観無量寿経』の曼荼羅)を織ったとされている。
29歳の3月14日の晩、阿弥陀如来と二十五菩薩が来迎され西方極楽浄土へと旅立たれた。
※この時の模様を再現したのが當麻寺で毎年4月14日に開催されている「聖衆来迎練供養会式」。その回数は現在まで
に1,000回を超え、全国各地で見ることができる練供養は、當麻寺の練供養を模した会式だと言われている。
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